即興演奏の愉しみ。
最近、近所の住宅街を歩いていてもピアノの音があまりしてこないことに気づきました。
わたしが子どもの頃、ピアノを習っている女の子はとても多かったので、午後3時頃になるとあちこちの家からピアノの練習の音が聞こえてきたものでした。
小学校にあがる前…たぶん5歳のとき、近所の年上の女の子が、お母さんと一緒にピアノのレッスンに行くところに出くわしました。なんだか興味をひかれて、一緒に連れていってもらいました。
自分では記憶に残っていないのですが、母の許可も得ていないというのに、その場で先生に「わたしにもピアノを教えてください」と直談判したそうで、わたしはピアノのレッスンに通うことになりました。母は笑って許してくれ、大人になってもこの時のことが笑い話として時々出てきます。
その頃、団地に住んでいたわが家には、とても古い電気ピアノがありました。音の調節をしようとダイヤルを回すとザリザリザリ…と雑音がするので、弾きやすい音にするのになかなか苦心したものです。
その電気ピアノで、父がときどきピアノを弾いてくれたのです。独学でピアノを習得した人でした。
父のおかげで色々な楽譜や曲集もありました。ボロボロになった茶色い楽譜は今でも大切に保管しています。
わたしの心のなかの「音楽の世界」には、こんな原風景があります。
そんなわけでわたしの音楽の初めにはピアノという楽器があり、今でもピアノを弾くのは好きなのですが、「楽譜どおりに弾く」「間違えないように弾く」「両手で違うことを弾く」という考えがどうしても抜けません。
ライアーに出会って魅力を感じたのは「難しいことをしなくていい」ということでした。師匠である宮田美岳氏のその言葉を聞いたときには、ものすごくほっとしたものです。
難しいことをしなくても、音の鳴らし方にさえ慣れれば、どうやっても響きの豊かな美しい音が出ます。もちろん演奏技術に長けるにこしたことはありませんが、そうでなくても美しい音が出ます。
「音」は一つ鳴らすと「ひとつの音」です。
ところが、二つ鳴らすとそこに「世界の気配」のようなものが生まれます。
三つ鳴らすと「ある雰囲気をもった世界」が生起してきます。
音楽というものを生み出した人間という生き物は、音の連なりに「世界の雰囲気」を感じ取ります。
即興演奏は、ひとつひとつ音をつなげて響かせてみることから始まるんだ、というシンプルなことを、ライアーに出会ってから発見しました。
ピアノでは即興演奏をすることはできないのに、ライアーだとそれができてしまう。そのことは、わたしにとってはライアーの大きな魅力のひとつなのです。ライアーを通じて和音の響きやコードをよく理解したら、いつかピアノでも即興演奏ができるかもと期待を膨らませています。
「ライアーでセルフトーニング」では、セッションのまとめとして、クライアントさんの指先から生まれてきた「三つの音」から、Jonaが旋律(フレーズ)を紡ぐ、ということをします。
その方がご自身でも思いがけず生み出した三つの音の「世界の雰囲気」が、その時その場での空気感とエネルギーによって、Jonaを介して旋律という世界にふくらんでいきます。
Jonaが紡ぐ旋律は、その方の「世界の雰囲気」を必ずしも的確に表現しているものではないでしょうが、自分(クライアントさん)の三つの音が、他人(Jona)を介して広がる世界があるんだ、ということを楽しんでいただけたら嬉しいです。
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